ケータイ辞書JLogosロゴ 永利郷(近代)


鹿児島県>川内市

 明治2〜22年の郷名。薩摩郡のうち。明治2年山田・百次の両郷を合併して成立。はじめ,永利【ながり】郷とも呼ばれた。鹿児島藩直轄領,明治4年から鹿児島県に所属。もと山田郷の山田村,もと百次郷の百次村・田崎村の3か村からなる。明治2年それまでの郷役(所三役)「噯【あつかい】」「組頭」「横目」を廃し,諸郷に常備隊を編成して小隊長以下諸役を置いたが,山田・百次の2郷はともに小郷で単独では小隊編成もできない事情もあり合併することになったものである。しかし,合併後も小隊編成はできず半隊編成となり,半隊長に愛甲蘇太が就任した。「地理纂考」によれば,高2,672石余,戸数464・人口2,182(士族1,232・平民950)。「県地誌」では,戸数528・人口2,359(士族1,201・平民1,158)。明治4年当郷は市来郡治所の管轄下となる。のち,第27大区,第2支庁を経て,明治12年伊佐郡宮之城郡役所,同14年からは薩摩郡隈之城郡役所の管轄下となる。戸長は各村ごとに置かれ,山田村に3村連合戸長役場が置かれた。明治22年当郷3か村は永利村となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7462839
最終更新日:2009-03-01




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