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- 鍋倉村(近世)とは
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鍋倉村(近世) 江戸期~明治8年の村名豊後国国東【くにさき】郡安岐郷のうち平井川左岸の山間地に位置する文禄4年前田玄以領,あるいは熊谷直陳領,領界が入り組むため不詳慶長元年杉原長房領,同4年中津(のち小倉)藩細川領,寛永9年木付(のち杵築)藩小笠原領,正保2年から同藩松平領元和8年の「小倉藩人畜改帳」「正保郷帳」には当村の村名がない村高は「見稲簿」64石余,「豊後国志」は野辺【のべ】村の支とする「天保郷帳」「旧高旧領」85石余細川領時代安岐手永,文化元年頃安岐郷となり,野辺村庄屋の支配を受けた万治元年に杵築領主松平英親が,安岐郷大庄屋片山平兵衛と大添【おそえ】村庄屋笠置正弘の意見を取りあげ,尾払いの池を築いたこの池は奈多・横城【よこぎ】・鍋倉・守江・下山口・大添の6か村に通水している鍋倉村もこの恩恵を受けて村高が増えている南は野辺村,西は守江村に接し,廻りを山に囲まれた高原の小村落で,「夏暑からず,冬寒からず」といわれている畑と水田を半々に持ち,水田には米と七島藺を栽培農間余業に七島表(畳表)を織った鎮守は天平元年に創始した奈多村の奈多八幡宮鍋倉山神社には寛政元年の鳥居があり,山村には珍しく立派な神殿があるが,由緒は不明他に観音堂と小一郎社がある明治4年大分県に所属同8年守江【もりえ】村に合併現在の杵築市大字守江のうち |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
鍋倉村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
鍋倉村(近世) 江戸期~明治10年頃の村名播磨国赤穂郡のうち千種【ちくさ】川支流大富川の渓谷を登口とする鍋倉高原に位置するもと宇喜多氏領慶長5年姫路藩領,同18年備前国岡山藩領,元和元年赤穂藩領,元禄14年幕府領,宝永5年相模国小田原藩領,延享4年幕府領,明和6年からは尼崎藩領村高は,「正保郷帳」21石余うち田4石余・畑16石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに21石余安政5年上郡組家数人数惣寄目録(西脇家文書)によれば,家数37・人数174,牛馬7社寺は「播州赤穂郡志」に薬師,明治12年の県神社明細帳に素盞嗚社が見える明治10年頃大富村の一部となる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」