ケータイ辞書JLogosロゴ 南郷城(中世)


鹿児島県>吹上町

南北朝期から見える城名薩摩国日置【ひおき】荘のうち永吉城ともいう康永元年の7月22日の阿蘇文書に「同庄内南郷城島津豊後守実忠代官城也」と見え(大日料6-7),当城をめぐって南朝方と北朝方の攻防戦が行われている南郷は代々桑波田氏が支配した土地で,当城にも桑波田氏が入った戦国期には,伊作家島津忠良と薩州家島津実久が島津宗家の後継者争いを展開し,当城もその渦中にあった大永6年に南郷を与えられた忠良は桑波田栄景を城主として南郷を守らせていたところが,天文2年2月10日に栄景は反旗をひるがえして実久方として挙兵したのである当城の守りは固かったが,3月29日に忠良は栄景などの武将が城外に出たすきに当城を攻撃し,桑波田河内守・桑波田式部少輔などを討ち落城させたこの時忠良は南郷を永吉と改称した忠良は敗走した栄景の反撃に備えて,息子の貴久・忠将に当城を守らせているこの当城をめぐる攻防戦は伊作家島津氏の忠良・貴久父子が戦国大名として飛躍するために侵略を開始した初期の合戦とされている関ケ原の戦以後は永吉麓の集落の形成によって廃城化していった吹上町永吉の宇都山上にある山城で,南北朝期以前から築城が始まり,完成は戦国期の明応9年前後と推定されている(日本城郭大系)
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7462915
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ