ケータイ辞書JLogosロゴ 西之村(近世)


鹿児島県>南種子町

 江戸期〜明治22年の村名。大隅国熊毛郡種子島のうち。東西1里24町・南北1里35町55間,惣廻り4里22町35間。種子島氏の麓西之表西町より午未(南々西)方11里18町30間の所に仮屋があった(種子島方角糺帳)。元禄2年の村高440石余,人口255,うち郷士115。牛馬39(懐中島記)。同9年の人家100軒,うち仮屋元(本村)22軒・田代16軒・上瀬田3軒・平野13軒・広浜3軒・立石6軒・西目30軒・砂坂塩屋7軒(種子島方角糺帳)。「旧高旧領」では532石余。砂坂と立石には塩屋があり,立石は種子島で初めて塩竈が建てられた場所である。また,塩屋の集落には薪用の山林および駄馬用の牧場が与えられ,年貢は塩を以って納めていたといわれる(種子島家譜・南種子村沿革誌)。鎮守は島尾大明神(御崎神社)があり,祭礼は毎年9月19日。ここでの祭りは,潮風の害を除くために行われたという(懐中島記)。寺院は法華宗本源寺末寺の本因寺(寺領高3石)と金剛寺・竜泉寺(ともに寺領高1石)があった。本因寺は,はじめ本村にあったが,のち平野に移され本国寺となった。金剛寺・竜泉寺は慶応2年に毀されている(種子島家譜)。明治7年本村に第73郷校の支校が設置,同11年廃校ののち西之小学校が開校した。同13年7月には西之小学校が本村から平野に移転した(南種子町郷土誌)。官三牧の地名は,西之表の麓侍であった平山寛蔵の私牧があったことによる。同21年の戸数285・人口1,364(南島回顧録)。同22年南種子村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7462939
最終更新日:2009-03-01




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