ケータイ辞書JLogosロゴ 二之方村(近世)


鹿児島県>末吉町

 江戸期〜明治22年の村名。大隅国曽於【そお】郡末吉郷のうち。慶長以前は北部の稲井原村と南部の宮路村の2か村に分かれていた(末吉郷土史)。なお,天正元年正月6日島津氏は肝付氏と住吉原合戦に当たり,北郷時久は都城・財部【たからべ】・末吉の兵を率い稲井原から攻撃を始め,一軍を橋野から,一軍を住吉山に伏せ,一軍を北別府に回し,肝付軍を四面から包囲攻撃し大勝したという(三国名勝図会など)。また,宮路の地名は住吉神社にちなむものか。村高は,「天保郷帳」では稲井原村として1,042石余,宮路村として452石余,「旧高旧領」では1,903石余。天保10年には70門,2,450石(末吉郷土史)。宝暦5年末吉郷の地頭仮屋が諏訪方村田村から当村荷原に移るとともに,野町も頭垂【かしたんたれ】から下垂【しもんたれ】に移り発達する。頭垂と下垂の両方の入口には門柱が立てられ,門柱の内は外(垂外【たれんそと】)より石段4段分ほど高くなっていた。野町では毎月3の日に市がたち,そのため三日町とも別称された(末吉郷土史)。神社には,住吉神社・長倉神社などがある。なお,住吉神社は底筒男命・中筒男命・表筒男命を祭神とし,住吉山(姥ケ岳)の中腹にあり,この山頂には日隅2州の境界石と伝える姥石がある(三国名勝図会)。明治5年当村に郷校を創立,同9年末吉小学校と改称,同20年末吉高等尋常小学校と改称。「姶良桑原囎唹郡役所管内一覧」では,戸数380,人口1,640(士族521・平民1,119)。明治22年末吉村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7462966
最終更新日:2009-03-01




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