奴久見(中世)
室町期に見える地名。薩摩国給黎【きいれ】院のうち。応永33年1月26日島津好久寄進状に「給黎内奴久見塩屋一所」とあり,次いで文安2年10月8日藤原久景寄進状にも「給黎院奴久見之内塩屋一」とあってともに谷山賢忠禅寺に寄進されている(福昌寺文書/旧記雑録)。江戸期には下村のうちに含まれたが,時に独立して生見村とされる場合もあった。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7462969
最終更新日:2009-03-01