ケータイ辞書JLogosロゴ 野稲原(中世)


鹿児島県>樋脇町

鎌倉期〜南北朝期に見える地名薩摩国入来【いりき】院のうち元亨2年3月13日の入来院内清敷南方水田検注帳に「弥太郎 一,十中〈野稲原分法のき〉」と見えるまた,建武元年9月8日の二牟礼の六郎二郎入道在家得分注文にも「のいねはらのさいけ」が見える(以上入来文書)同所は入来川下流左岸の沖積平地であり,入来院地頭の本拠城清色城北方の要所でもあったが,後,文禄4年入来院氏が大隅国湯之尾へ移封せられてから以後は島津氏直轄地となり,江戸初期に入来院氏が復封後もなお入来領に復することはできなかった江戸期は樋脇郷塔之原村のうち,現在は樋脇町塔之原内の小字名となっている
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7462980
最終更新日:2009-03-01




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