ケータイ辞書JLogosロゴ 納官村(近世)


鹿児島県>中種子町

 江戸期〜明治22年の村名。大隅国熊毛郡種子島のうち。東西32町,南北2里5町44間,惣廻り6里12町52間の南北に細長い地域。種子島氏の麓西之表の西町より午(南)5里18町19間のところに仮屋があった(種子島方角糺帳)。元禄2年の村高は212石余,人口301,うち郷士133,牛馬50(懐中島記)。元禄9年の人家は167軒,うち,仮屋元(原之里)20軒・平鍋50軒・春田8軒・坂元20軒・浜津脇46軒・牧川35軒・上之城25軒・竹之川塩屋8軒(種子島方角糺帳)。「天保郷帳」では332石余,「旧高旧領」では274石余。浜津脇は,島内18浦の1つで,浜津脇以南から,納官村と野間村との境界である濁川までの漁場が許されていた(種子島旧浦沿革書)。天保12年には,浜津脇の全戸に相当する47戸が焼けて,種子島氏は,米や味噌を与えると同時に,全焼した家には租税の3分の2を免除した。竹之川には中世以来の塩屋があり,脇之川には櫨園があり製蝋所も建っていた(種子島家譜)。鎮守は納官神社。寺院は,法華宗慈遠寺末寺の妙昌寺(寺領高2石)と妙昌寺塔頭妙顕寺・妙蓮寺があった。文化7年には,納官坊3軒,慶応2年には木場坊・春田坊・浜津脇坊が財政的な理由で毀されている(種子島家譜)。明治13年北部の牧川が分離して牧川村となる。同21年戸数216・人口1,005(南島回顧録)。同22年,中種子村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7462981
最終更新日:2009-03-01




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