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- 野崎村(中世)とは
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野崎村(中世) 南北朝期に見える村名薩摩国阿多郡のうち貞和2年9月4日島津道恵・二階堂行仲連署注進状に「次渋谷一族等,此間為当城(池辺城)合力構行,件領内野崎村仁要害楯築処,凶徒等率大勢,去七月三日就于取彼城近所貝柄崎仁向城,今月四日卯剋,渋谷一族等不残一人棄城引帰了」とある(伊作家文書/旧記雑録)下って,永正10年8月21日島津運久売券によれば「田布施野崎名之内十石薗之門田数二町」とある(旧記雑録)金峰【きんぽう】町宮崎あたり |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
野崎村(中世) 南北朝期から見える村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
野崎村(中世) 南北朝期に見える村名薩摩国日置【ひおき】北郷のうち貞和2年9月4日付島津道恵(宗久)外1名連署注進状案によれば,渋谷一族が「件領(日置)内野崎村に要害楯築」したので,宮方伊集院忠国らが攻め,この日渋谷一族は城を棄てたという(伊作荘史料)のちにはこの地域に伊集院方の勢力が広がった日吉町吉利のうち... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」