ケータイ辞書JLogosロゴ 野田村(中世)


鹿児島県>野田町

 鎌倉期に見える村名。薩摩国山門【やまと】院のうち。弘長2年3月9日付で山門院郡司秀忠が娘虎王に与えた譲状の中に「へふ しゝ 北ハうしくひ里より山ミち,南ハ田ふち,東ハおほちさかりの溝くたり松もと田并のたのむらの道,西ハあつかりをの大道」と見え,別府の東境が当村の道とされている。下って箕輪伊賀入道覚書の永禄11年の項には,島津氏と相良氏との和平交渉に「野田感応寺」の僧があたったことが記されている(旧記雑録)。なお,出水郡が慶長4年豊臣秀吉直轄地から島津氏に復帰した前後の野田の境域を示す古記録には「薩陽出水郡山門院野田と申は往古は三百五十町余之所にて,名数多田村折口村西目村上名村下名村当所之内にて有之,境は阿久根は三ケ野より央槌迄,高尾野・出水之方富士より森杉之元迄,板目川より洗切迄,北は蕨島・黒浜・脇本迄野田之内にて有之候得共,当分段々出水・阿久根へ被召附候」とある(出水風土誌)。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7463019
最終更新日:2009-03-01




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