ケータイ辞書JLogosロゴ 日置郷(近世)


鹿児島県>日吉町

 江戸期〜明治22年の郷名。薩摩国日置郡のうち。鹿児島藩日置島津氏領。外城の1つ。日置・山田の2か村から成る。万治4年鹿児島藩直轄領となるが,延宝8年再び日置島津氏領となる。大川中流右岸と吹上浜との間にあった日置松尾城の下に麓がおかれ,その中心にお仮屋があった。成立は文禄4年で,現在の日置小学校の位置,かつて校庭には周囲3mのセンダンの森があり,1本には藤が巻きついていた。その近くの井戸のそばにユスの垣根に囲まれたお仮屋があった。門は東側で,その下の一段低い道に沿って射馬屋敷・矢立馬場があり,麓へおりると左側に侍詰所があり,お仮屋馬場に通じていた。馬場の両手に重臣の屋敷があった。現町役場南前が下屋敷で隠居所があり,大イチョウが5〜6本植えられていた(日吉町郷土史)。「薩藩政要録」によれば,島津但馬私領,家中士惣人数635,家中士人体281,所惣高3,175石余,家中高1,356石余,寺社高142石余,用夫544,浦用夫288。また同書によれば人数5,087,うち家来男637・同妻娘644,出家男3,社家男女32,百姓男1,465・女1,348,浦浜人男276・女282,家中足軽以下その他男女509。嘉永4年には島津下総私領,家中士総人数1,570,家中士人体714,所総高3,168石余,家中高1,497石余,寺社高153石余,用夫916,浦用夫277(要用集)。明治4年の高3,187石余,戸数1,347,人口6,719うち士族1,291・卒446・平民4,982。明治4年鹿児島県に所属。同5年第12大区となり,同7年戸長役所が置かれた。同12年日置阿多甑島【こしきじま】3郡郡役所管轄,同14年鹿児島郡役所管轄となり,同20年日置・阿多郡役所管轄下となった。この間戸長役所は戸長役場と改められた。同22年日置郷2か村は日置村となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7463099
最終更新日:2009-03-01




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