ケータイ辞書JLogosロゴ 東俣村(近世)


鹿児島県>郡山町

 江戸期〜明治22年の村名。薩摩国日置【ひおき】郡郡山郷のうち。村高は「天保郷帳」では2,121石余,明治初年1,186石余(郡山郷土史),「旧高旧領」では1,184石余。鎮守は一之宮神社。同社は中世の創建で,延徳3年の棟札があったと伝える(三国名勝図会)。また,数十体の神像を今に伝え,境内には天明6年の狛犬の石像がある。元文4年の奉納御幣の箱に記された門数は23。このうち,東門百左衛門は私財を出して道路や橋の修築をした功により元文2年に藩より公役免除を受け,その3人の子は宝暦3年に藩より各15俵の米が与えられている(郡山郷土史・人物伝備考附録)。百左衛門の墓は東俣字白石の墓地に今も残る。安永4年の「米永門名寄帳」によると門高は25石余。「県地誌」では戸数173・人口829,うち士族157・平民672,牛60・馬212,小学校1,村の中央に戸長役場があった。物産は米・粟・甘藷・蕎麦・大豆・麦などのほかに茶・麻苧・楮皮・塵紙。手工業1戸,商業2戸,ほかはすべて農業。明治22年郡山村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7463122
最終更新日:2009-03-01




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