ケータイ辞書JLogosロゴ 日木山村(近世)


鹿児島県>加治木町

 江戸期〜明治22年の村名。大隅国始羅郡加治木郷のうち。村高は,文禄4年6月29日の豊臣秀吉朱印知行方目録では太閤蔵入分として233石4斗5升8合(島津家文書2/大日古),寛文4年「郡村高辻帳」「天保郷帳」でもともに233石余,「旧高旧領」では466石余。なお,安永7年「三州御治世要覧」では632石余。元禄12年当時の庄屋は竹下伝左衛門(加治木郷土誌)。「加治木古今雑撰」によれば,宝暦年間の門数25。「三国名勝図会」では,「其(黒川)海口を黒川碕と呼ぶ,邑主第三代島津兵庫久季桜樹を河岸に植て桜川と改む,昔は水勢多く舟船出入の港なりしと云」と記され,また,蔵王岳の西麓の谷間(梅ケ谷)には清水が湧き出ており,「此水を以て酒を造るに醇良なり,故に当邑の名酒に梅ケ谷といへる銘の者あり」と見える。ほかに二瀬戸には白石を産す。天保12年黒川沿いに新田が開発される。寺社には反土(段土)村の般若寺を移転・改号した曹洞宗能仁寺,同宗東禅寺,黒川観音,蔵王権現社,黒川権現社(塩竈権現),平行盛を祀る平大明神社がある。明治4年一時反土(段土)村に合併されるが,その後再び分村する(三国名勝図会)。明治14年「姶良桑原囎唹郡役所管内一覧」によれば,戸数100・人口409(士族49・平民360)。明治22年加治木村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7463126
最終更新日:2009-03-01




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