ケータイ辞書JLogosロゴ 久末名(中世)


鹿児島県>蒲生町

 鎌倉期〜戦国期に見える名田名。建治2年8月日付大隅国在庁石築地役配符に,蒲生院久得のうち「久末 名主七十房跡」と見えるのが初見(調所氏譜祐恒伝/旧記雑録)。戦国期になると,弘治3年4月蒲生氏退去後は島津氏の有に帰し,天正8年閏3月吉日付島津氏老臣連署坪付に「隅州蒲生之内 一,久末名 田口門」とあって,家臣浜田氏に宛行っているようである(浜田氏文書/旧記雑録)。なお,「山本氏日記」弘治2年2月10日条に「蒲生の荒比良口の垂二重取やふられ候て」とある。樺山玄佐自記弘治3年4月条に「荒平御陣ハ貴久様御二男又四郎殿様,如此被取囲之処」とあって,蒲生合戦の終期,地内字荒平に島津義弘の陣があったことが知られる(旧記雑録)。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7463129
最終更新日:2009-03-01




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