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- 久末名(中世)とは
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久末名(中世) 南北朝期に見える名【みよう】の名豊後国国東【くにさき】郡武蔵郷のうち国東半島東部,現在の東国東郡武蔵町のうちと考えられるが比定地未詳建武2年閏10月の志賀忠能正玄代貞幸申状に「豊後国武蔵郷久末名内田地屋敷等事」と見えるのが唯一の史料(大友史料5)久末名は開発以来相承し地頭職を帯する承全の譲りを得て,志賀忠能が知行していたが,承全の孫小野秀直が非分領掌の挙に出たので,安堵の勅裁を請うたものである久末名は正安4年5月1日に大夫法橋と子息源秀の連署譲状によって志賀氏に譲られたが,正和2年の鎮西五社興行の時,承全の孫小野秀直が非器の身をもって神官を号し,訴状を捧げたため裁判となったと見えるまた久末名は宇佐宮領であるが,下地は開発地頭相伝進止の地であるから,秀直の押妨を停め安堵されたいと願い出たものである |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」