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- 久吉名(中世)とは
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久吉名(中世) 鎌倉期~南北朝期に見える名【みよう】の名豊後国国東【くにさき】郡武蔵郷のうち国東半島東部,現在の東国東郡武蔵町のうちと考えられるが,比定地未詳「弘安図田帳」に,「久吉名十六町,同人」と見えるのが初見(大友史料3)同人とは武蔵郷の本郷254町8反の地頭職を帯する豊後守護大友頼泰のこと後藤碩田はのち久末村,成吉村の2か村に分かれたと考えているが確証はなく,地名の消滅と考える方が妥当であろう大友氏が地頭職を帯するようになった経緯や時期は不詳以来大友惣領家が知行するようになり,貞治3年2月の氏時所領注進状に「同国武蔵郷重藤久吉両名」と見え,終見の永徳3年7月18日の親世所領注進状には,「同国武蔵郷重藤名付久吉名」とあるこの時点では久吉名は重藤名の付けたりとなっているように,久吉名の衰退を物語っている |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
久吉名(中世) 鎌倉期に見える名田名常陸国南郡のうち弘安田文に別名として「久吉二丁一段」と見える(税所文書/県史料中世Ⅰ)現在の石岡市付近と思われるが詳細は不明... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」