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- 平石(中世)とは
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平石(中世) 室町期に見える地名足利荘のうち応永13年8月19日の鎌倉府奉行人連署奉書(鶏足寺文書/県史中世1)に「足利庄山下郷内平石智光寺」と見え,享徳3年5月28日の関東管領上杉憲忠奉行人奉書にも「平石智光寺」が見える(同前)智光寺は足利泰氏の建立にかかるが「智光寺文永二年三月」と陽刻鋳のある古瓦も出土している智光寺跡は昭和39年3月8日~同年7月下旬にかけての第1次調査,昭和40年3月24日~同年6月6日にかけての第2次調査,同年10月10日~同年12月21日にかけての第3次調査によって園池・中島・阿弥陀堂・各建造物などの跡が確認され浄土庭園の様式をもつ精舎であったことが判明した(足利智光寺の研究)その跡地には県立足利商業高校が建設されている現在の足利市山下町内に比定される |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
平石(中世) 室町期から見える地名筑後国下妻郡水田荘のうち平礼石とも書く文安5年の水田荘田地坪付ならびに同時期の水田荘南島村在家雑免坪付に,二郎丸・犬王丸・小二郎丸の各百姓名を構成する田地が平石にある旨が記されている戦国期と推定される年月日未詳の水田老松社々辺検地帳には「ひられいし」「平礼石」と見える(以上,太宰府天満宮文書/水田荘広川荘史料)明治15年字小名調(県史資料8)に水田の字として見える上平霊石・下平霊石一帯,現在の筑後市水田のうちに比定される... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」