ケータイ辞書JLogosロゴ 二川村(中世)


鹿児島県>垂水市

 室町期から見える村名。大隅国下大隅郡のうち。永享8年5月20日の島津忠国宛行状に「嶋津御庄大隅方下大隅郡之内二河村之事」と見え,島津忠国から山田忠尚が当村を宛行われている(山田忠尚譜中/旧記雑録)。下って,天文14年4月18日の島津貴久宛行状には二川の3町の田地が見え,奉公の賞として本田董親に与えられている(本田氏蔵書/同前)。本田董親は牛根城主であり,二川の地は牛根の地頭に付されていた。その後,牛根城に入った肝付兼続の臣,安楽備前守が,天正2年に島津義久軍に屈すると,当地は島津氏の支配地に入るが,義久の御前会議で,市成の地頭の伊集院久通が「二川名」を望んだことから,「二川名」が市成の地頭職に付すべきか,牛根地頭職に付すべきかが問題となり,義久の決裁が仰がれている(上井覚兼日記)。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7463248
最終更新日:2009-03-01




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