ケータイ辞書JLogosロゴ 二川村(近世)


鹿児島県>垂水市

 江戸期〜明治22年の村名。大隅国大隅郡牛根郷のうち。村高は,「天保郷帳」では146石余,「旧高旧領」では401石余。曹洞宗喜翁院は本府福昌寺の末寺で,本尊を聖観音とし開山は竜谷和尚であったが,のち破壊され林察和尚が中興した(三国名勝図会)。上ノ原は松崎川左岸下流域にあり,川を挾んで二川集落と接する。かつて麓村に属していたこともある。深港は北は浮津,南は二川に続き,「旧藩時代南諸県郡(現曽於郡)方面の上納米は市成・高野を経て観音坂を下りここから船に積み込んで藩の倉へ収蔵されるのが例で,上津・下津ともいった」という(垂水市史)。飯牟礼神社は,応安3年島津氏久が国合原の合戦で苦戦し,市成飯牟礼山を越えて二川の浦に出てきた時二川深港に建立し守り神としたと伝える。深港の北にある浮津は古くから浮津浦といわれ,漁業を営む人が多かったが,江戸期大暴風のため多くの漁民が難船して以降は境へ移住した人が多かったという。風波がよくとまるので,泊の港といって漁民も集まったといわれる。地名は浮田秀家が着いたところから浮津の名が起こったともいわれる。高野は深港の山手市成へ越える上野台地,深港川の上流にあり,天正2年島津氏に降った伊地知重興の家臣津曲氏がのがれてきた地といわれる。稲荷神社は,多くの古い棟札を納め集落の鎮守として崇拝されている。村内では農林業や漁業が営まれ,特に牛根の薪は有名で,鹿児島へ多く運ばれたという。明治12年創立の二川小学校は,同21年二川簡易小学校と改称。同22年牛根村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7463249
最終更新日:2009-03-01




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