ケータイ辞書JLogosロゴ 麓村(近世)


鹿児島県>垂水市

 江戸期〜明治22年の村名。大隅国大隅郡牛根郷のうち。牛根村・牛根麓村ともいう。村高は,「天保郷帳」では255石余,「旧高旧領」では麓村と見え569石余。村内は麓・居世神・口輪・大中野・辺田・中浜の各集落からなる。「三国名勝図会」によれば,居世神社は欽明天皇の皇子を祭神とし「文明年中邑主池袋民部少輔建立して,邑の宗社となせり」とある。また皇子墓所については,「土俗陵所と呼ぶ,古来石小祠のみありしに,大信公有司に命じ箕の地を巡視せしむ,文化14年9月,神垣を構へ,石灯一を建給ふ」と見える。真言宗華蔵院は本府大乗院の末寺で本尊を十一面観音とし中興の住僧盛意法印は万治年間の人で,のち火災にあって記録を焼亡したという。桜島口寄りにある前崎は安徳天皇の陵のご前崎の意であるといい,ここの岩にある尼僧を刻んだ磨崖仏には正保4年の銘がある。脇田の海岸には安政年間島津斉彬が西洋式の軍艦を建造させた造船所跡があり,1年有半の歳月を費やして日進丸が,対岸の瀬戸では春日丸が建造された。ほかに麓には桃山風といわれる古風な広田家の庭園や,宮崎小路・中小路・御門小路・東小路など京風の名の残る小路が整然と並んでいる。口輪は平家の落人集落と伝え,7戸より増減がなかったといわれる。地名は曲輪から転じたもので曲輪は城中を意味するといわれる(垂水市史上)。集落の山手には十三仏があり,木彫で上段に虚空蔵が置かれ,御堂に室町期の作といわれる鰐口もかけられている。また近くには弁財天があり,日象神も祀られている。口輪は北は辺田の小中野,南は麓の東小路の集落と接している。辺田は平野川を挾んで小中野と上ノ村の集落からなり,北は観音崎を経て中浜に通じる。安政年間の古文書によれば,大中野・小中野・上ノ村を合して辺田と称したという(垂水市史上)。地内にある神子ひつ神社は女神として村人の崇拝を受けている。また関ケ原の戦に敗れた浮田秀家の潜居跡といわれる平野屋敷や居世神社の皇子を殺害しようとした7人の山伏を殺し埋めたといわれる七人塚もある。中浜は,元和4年元村に大洪水が起こり,難をのがれた人々が当地に移住したという。地内にある地蔵堂は,承応年間村山備後守の創建といわれ,本尊阿弥陀如来像は木彫で彩色がなされており,京都より運ばれてきたものといわれる。産物には水田地帯の米,丘陵畑地の甘藷などがあり,山林からは薪を産出した。明治22年牛根村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7463285
最終更新日:2009-03-01




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