ケータイ辞書JLogosロゴ 前目村(近世)


鹿児島県>菱刈町

 江戸期〜明治22年の村名。大隅国菱刈郡馬越郷のうち。村高は,「天保郷帳」1,767石余,「旧高旧領」2,454石余。馬越郷の中心をなし,地頭仮屋が置かれた。また野町があり,商品の売買がなされていた。建久年間に観禅法師の開山になる下名の黒板寺は,天台宗であったがのち真言宗に改められた。永禄年間に島津貴久から3町3反の寺領を寄進されていたが,豊臣秀吉の命で没収された。しかし,江戸期には馬越郷の祈願所として命脈を保っていた。本町にあった長寿寺は臨済宗で虎岳和尚開山。9世の実門和尚は,宝暦6年の馬越郷の飢饉の際に貧民に米・麦を施し,また幕末〜明治初年にはかくれ念仏信徒の責め場になっていた。下名の伊勢神社は天文9年に黒板寺の鎮守として盛良法印が勧請した。麓後の稲荷神社は永禄10年に島津義弘が戦勝を祝して軍陣の跡に勧請したといわれ,宮山の南方神社は天正5年に島津貴久が再興したものと伝える。また菅原神社は馬越の地頭大島出羽守忠泰が文禄5年に勧請したものという(菱刈町郷土誌)。明治2年からは菱刈郷のうち。同16年の戸口は士族104戸・364人,平民157戸・568人(同前)。同22年菱刈村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7463355
最終更新日:2009-03-01




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