ケータイ辞書JLogosロゴ 馬越(中世)


鹿児島県>菱刈町

 戦国期に見える地名。大隅国菱刈郡のうち。永禄10年11月24日条の「箕輪伊賀自記」に「思ヒ掛モナカリケル,馬越ノ一城落ケルハ,難叶ヤ思ヒケン,一日ノ内ニ湯尾・本城・横川・曽木・羽月・平泉・山野・青木・一山(市山)落去ケレトモ,大口一城ニ取籠リ」とあり(旧記雑録),当地は菱刈氏の拠点となっていたが,島津氏の三州統一の過程における攻防で落城すると,周辺の諸城も落ち大口城へ結集した。この間の状況については永禄11年1月から同12年にいたる「長谷場越前自記」「箕輪伊賀自記」「箕輪伊賀覚書」「樺山玄佐自記」などに見える(同前)。また,その後の島津氏の肥後攻めなどの記載を主として,「上井覚兼日記」の天正2年10月5日以下の条にも当地が見える(同前)。その間の天正8年の「肥後合戦御陣立日記」には「馬越 伊東右衛門佐殿」と陣立配置も記録されている(同前)。当地の馬越城は別名を高見城といい,その城跡は旧役場北方の台地にあり本丸跡・搦手の堀も残っている。菱刈重妙の庶長子太郎重隆が馬越村を与えられ姓を馬越に改め,代々ここを居城とした。永禄11年の島津貴久・義久の菱刈攻略はこの城を包囲し,ついに守将井手籠駿河,その子兵部,弥四郎などの菱刈勢は討死にして城は落ちた(菱刈町郷土誌)。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7463361
最終更新日:2009-03-01




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