ケータイ辞書JLogosロゴ 益山村(近世)


鹿児島県>加世田市

 江戸期〜明治22年の村名。薩摩国河辺【かわなべ】郡加世田郷のうち。村高は「天保郷帳」では1,332石余,「旧高旧領」では1,284石余。万之瀬川が当村と阿多郡宮崎村・高橋村の間を北より南に流れる。村の東部万之瀬川の中流に中の渡があり,渡し船1艘で当村より宮崎村に渡していた。村の用水として新田溝があった。八幡神社は康和2年土地の郷士である池田と藤宮の両氏が,山城国男山八幡の御神霊を勧請して村内の中村に建てたもので,その後,貞永2年・応長元年・応永8年に再興され,近くは安永8年藩主島津重豪が再興,忠良・光久・重豪の藩主たちの他,島津仲・小松帯刀の家老たちが石灯籠を寄進している。祭神は,応神天皇・神功皇后・仲哀天皇,別当は真言宗八幡山満徳寺真光院。ほかに諏訪大明神社がある(三国名勝図会)。北部の山村にある鵜の塚は応永4年伊作久義が別府某と対陣した所であり,また万之瀬川のはしにある守の渡は島津忠良が島津実久の兵と戦い勝利を得た場所だという。「県地誌」によると,戸数351,人口1,794,うち士族238・平民1,556,牛96・馬113,日本形荷船200石未満50石以上1。村社八幡神社,南方神社がある。物産は米・糯米のほか大麦・小麦・裸麦・粟・大豆・蕎麦・蜀黍・玉蜀黍・甘藷・葉煙草・製茶・麻など,全戸数のうち農家がほとんどで,工業を兼ねる家も多かった。明治22年東加世田村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7463374
最終更新日:2009-03-01




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