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- 光富名(中世)とは
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光富名(中世) 鎌倉期~南北朝期に見える名田名薩摩国薩摩郡のうち建久4年の薩摩国諸郡注文に薩摩郡の名田として「是枝名,光富名,成枝名,永利名,寄田名,時吉名」があげてある建久8年の薩摩国図田帳には薩摩郡のうちとして「光富四十九町内〈廿町万得〉名主荒川太郎種房」とある光富名の主体は現在の串木野市荒川方面と考えられるが,他の方面にも散在していたことを示す文献がある永和4年2月28日付の島津伊久から伊作女房への譲状に「光富名内 東寒水のかりや薗」(伊久公御譜/旧記雑録),羽島氏系図の南北朝期の人物と思われる友茂(又は友繁)に「光富のうち向田知行」,暦応2年6月23日付の酒匂久景書下に「薩摩郡光富名内古郡」(有馬家文書)とある現在の川内【せんだい】市向田町方面や同市赤沢津方面にあたる地である光富名主職は鎌倉初期は荒川氏の所有するところであったが,ほどなく薩摩平氏の手に移り,南北朝末期に至って薩摩平氏の衰亡に伴い,この名田名も消滅したようである |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」