ケータイ辞書JLogosロゴ 南浦村(近世)


鹿児島県>菱刈町

 江戸期〜明治22年の村名。菱刈郡本城郷のうち。村高は,「天保郷帳」566石余,「旧高旧領」1,305石余。麓の甘露寺は真言宗で天文年間に権少僧都栄音がいたことが確認されているので,開山はさらに古いとみられる。その後荒廃したが寛文11年に再興され寛保3年に焼失した。本城郷の祈願所となっていた。麓にあった興覚寺は鹿児島福昌寺の末寺で曹洞宗。開基は近世初頭に福昌寺21世南嶺慶舜大和尚によるという。麓の南方神社は諏訪神社ともいい,文明6年に菱刈氏重・忠氏が宝殿一宇を造立したという棟札や天正16年に島津忠豊が奉納したという仏画が伝わっている。麓の愛宕神社は宝暦2年の愛宕勝軍地蔵大権現礎開の棟札があるので,このとき本城郷の郷士が守護神として勧請したものとみられる。瓜ノ峯の菅原神社は弘治3年奉納の板書があり,この頃菱刈氏が武運長久を祈って勧請したものであろう。木場の天王神社は古くは天王寺という寺であったが,天文年間に大洪水によって寺山一帯が崩壊して廃寺となったためその信仰をつないで神社になったと伝えられている(菱刈町郷土誌)。明治2年からは太良郷に属す。同22年太良村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7463433
最終更新日:2009-03-01




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