ケータイ辞書JLogosロゴ 南之郷村(近世)


鹿児島県>末吉町

 江戸期〜明治22年の村名。大隅国曽於【そお】郡末吉郷のうち。もと日向国諸県郡庄内南郷のうち。慶長以前は東部山間部の大裏(浦)村,中央部大淀川(中津瀬川)流域の中裏(浦)村,北西部の大淀川右岸に位置したと思われる小裏(浦)村の3か村に分かれていた(末吉郷土史)。村高は,「天保郷帳」では大裏村として221石余,中裏村として2,134石余,「旧高旧領」では2,601石余。また,天保10年の門数110(末吉郷土史)。物産としては,上質の米のほか,東部山間の生鉄などがある。なお,新田山から花房・安山にかけて行われた製鉄は,志布志湾の砂鉄を安楽川沿いに馬で運んで,山間に豊富な薪・木炭を利用したものである。寺社には,曹洞宗興昌寺・檍大明神社・山口大明神社・若一王子社などがある(三国名勝図会)。檍神社の小戸池の水は安産のための神水といわれた。橋野には「寝太郎どん」という長さ2m近くの石があり,干天の時この石を起こすと雨が降ると言い伝える。また,中園付近では太鼓踊(うでつおどい)が踊られていた(末吉郷土史)。明治5年郷校の分校が高岡に創立,同9年独立して高岡小学校となり,同20年高岡簡易小学校と改称。明治7年檍小学校創立。「姶良桑原囎唹郡役所管内一覧」では,戸数499,人口2,221(士族476・平民1,745)。明治22年末吉村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7463441
最終更新日:2009-03-01




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