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- 宮田(中世)とは
「宮田(中世)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
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![]() | 宮田(中世) 鎌倉期から見える地名薩摩国入来【いりき】院のうち元亨2年3月13日の薩摩入来院内清敷南方水田検注帳に「石塔分……ミやたー,四十」と見える(入来文書)現在の入来町浦之名の前川内川下流右岸の沖積平地の小字名一般に神社の社田を宮田と称する所は多いが,この宮田は同所北隣に祀る近岡神社のそれと関係があると考えられる古代~中世は智賀尾【ちかお】神社と号し,智賀尾本社は現在郡山町にあるが,同社の初見は貞観2年に従五位上の神階を授けられたという貞観式である上記元亨検田帳所載の宮田の耕作者は「石塔【いしとう】」の在家であるが,これが約160年後の長享~延徳年間の作成と推定される算田日記では「宮田門」を称するようになっている(同前)以後江戸末期まで門名は変わらず,その後裔は現代も宮田氏を号している |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 宮田(中世) 戦国期に見える地名相模国三浦郡のうち「役帳」に,小田原北条氏の御馬廻衆桑原弥七郎の所領役高として「廿貫文 三浦郡 宮田之内」と見えるなお桑原氏は伊豆21家の1つであったまた永禄10年かと推定される卯の9月25日北条家朱印状写には「上宮田」とあり(相文/県史資3下‐7563),江戸期には上宮田村・下宮田村が見える現在の三浦市上宮田・下宮田を含む地域に比定される... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 宮田(中世) 室町期に見える地名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 宮田(中世) 戦国期にみえる地名石見国邑智【おおち】郡のうちか天文12年9月7日付「横道助十郎知行坪付覚」(林文書/新県史史料編1)に三原・渡りなどと並んで「拾五貫文 宮田」とみえる比定地は未詳... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」