ケータイ辞書JLogosロゴ 宮之浦村(近世)


鹿児島県>上屋久町

 江戸期〜明治22年の村名。大隅国馭謨【ごむ】郡屋久島のうち。「薩藩政要録」によれば屋久島の本村の1つで,小村に一湊【いつそう】・楠川・志戸子・小瀬田の4か村があり,「三国名勝図会」では吉田村の属村に見える。村高は184石余(旧高旧領)。島内の行政の中心地で,屋久島奉行所・津口番所が置かれた。鎮守の益救神社は,中世以来全島で法華宗信仰が盛んとなる中で自然に衰退していったが,貞享元年屋久島奉行として来島した町田孫七忠以【ただもち】が神社の遺跡を尋ね出し,社堂を再興したという。祭神は彦火々出見尊(地理纂考)。寺院に法華宗長遠山久本寺があったが,明治初年に廃された。また貞享5年の造営になる釈迦堂は,漂着した釈迦如来像を安置したものという(三国名勝図会)。明治8年に設置された小学校は在番所の筆者所を校舎にあて,同19年尋常小学校となる(県熊毛郡郡治要覧)。明治11年の戸数約70。村政は人民総代が司った(問題別の調査報告書―上屋久町)。明治17年戸長役場の位置・区域名称改正があり,当村ほか楠川・小瀬田・吉田・一湊・志戸子・永田・口永良部の7か村の戸長役場が地内に置かれた。同22年上屋久村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7463477
最終更新日:2009-03-01




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