ケータイ辞書JLogosロゴ 宮之城(中世)


鹿児島県>宮之城町

 戦国期に見える地名。薩摩国のうち。「長谷場越前自記」天正6年11月12日条に「其後祁答院・宮之城に相続きて」と見え(旧記雑録),天正8年の「肥後合戦陣立日記」にも「御大将 宮之城 嶋津左衛門督歳久」とある(同前)。祁答院を支配した大前氏は川内川の上流に時吉城(上の城),下流に虎居城(下の城)を築いた。その後,文禄4年8月に都城の北郷時久が祁答院地方に移封され虎居城を居城としたが,北郷氏の旧領都城への郷愁は強く,「軍令不吉」の理由で,虎居城を都城の名にちなんで宮之城と改めた。この城の改名によってやがて虎居・時吉の2地域を宮之城と呼ぶようになったという(祁答院記・宮之城記)。これが宮之城という地名の起源で,その発生は文禄4年以降となる。「長谷場越前自記」「肥後合戦陣立日記」の記述は,改名後の記録・書写等によるものであろうか,「上井覚兼日記」の天正4年8月18日条には「下之城」としている。なお,都城島津家の「御秘文雑集」には北郷時久が祁答院に移封された時の高として「宮之城452石1斗4升9合6勺,宮之城かりや屋しき1石3斗4升」とある。この宮之城は府本であった屋地を指している。
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7463482
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ