ケータイ辞書JLogosロゴ 持丸名(中世)


鹿児島県>伊集院町

鎌倉期〜戦国期に見える名田名薩摩国伊集院のうち用丸名とも見える弘長元年10月28日の沙弥寂澄・紀清忠連署田地売券写に「うりわたすせんそさうてんの私りやうの事,在伊集院用丸内,水田壱町弐段,字原田垣本」と見え,持丸名内の水田1町2反が沙弥寂澄から石谷久徳に売却されている以降,建治元年10月3日のふつけう譲状に「もちまろのうちすいてんいちやうにたん」,元徳2年3月14日の伊集院助久請文に「用丸名内原田垣丸」,建武4年3月日の山田忠能申状に「同(伊集院)持丸名内原田垣下」などと見える(山田文書/旧記雑録)また,鎌倉後期以降と思われる「薩摩伊集院分造宇佐宮用途支配注文」に用丸が見え(島津家文書/大日古3),応永15年4月13日には伊集院頼久が広済寺に「持丸名内辺牟木門水田一町八段十并郡新開一町四段」を寄進している(広済寺文書/旧記雑録)下って,永正11年12月15日の島津立久が定めた「薩摩国伊集院諏訪御祭礼年回田数番帳」の第7組に「持ケ丸名」が見える(伊集院由緒記/県史料拾遺)現在松元町春山に「餅ケ丸」,伊集院町下谷口に「餅ケ丸」の小字がある伊集院町の餅ケ丸は下谷口と飯牟礼との境を大田の長谷から長谷川に沿って南に延びる通称長谷田圃の中にある前記永正11年の数番帳にある持ケ丸名は同文書の黒葛原名とともに,現在の下谷口の西部を占めるかと推定されるが未詳
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7463530
最終更新日:2009-03-01




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