ケータイ辞書JLogosロゴ 百次(中世)


鹿児島県>川内市

 戦国期に見える地名。薩摩国薩摩郡のうち。天文5年7月23日付の島津勝久から入来院重聡への宛行状に「薩摩国千台郡之内百次城所領之事」とあるのが初見(入来文書)。百次城は百次町小字城の下にあったという。往時は上野城といい,薩摩平氏一族の上野氏が居住していた。次いで岩田ケ城と呼ばれたらしい。大永6年薩州家島津実久がここを占領し,山崎成智を岩田ケ城主とした。入来院氏が享禄・天文年間,数度にわたりこの城を攻撃し,天文8年に落としている(永利郷土史)。その後は百次城と呼称したようである。元亀元年入来院氏からこの地は島津氏に献納された。「長谷場越前自記」に「百次,平佐,高江,宮里,天辰,碇山を入来より返上也」とある。次いで耳川合戦を記した大友御合戦御日帳写天正6年11月12日条に「百次衆」,天正8年肥後合戦陣立日記に「百次地頭佐多宮内少輔」(旧記雑録),文禄4年豊臣秀吉から島津氏への朱印状に「一千九十八石九斗九升 百次村」とある(島津家文書2・入来文書)。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7463538
最終更新日:2009-03-01




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