ケータイ辞書JLogosロゴ 屋久(中世)


鹿児島県>上屋久町

 鎌倉期から見える地名。嘉元4年4月14日付で,島津荘寄郡河辺郡地頭であった在地領主千竈時家が息女の「いやくま」に譲与した所領の内に「やくしまのしものこほり」がみえる(千竈文書/県史料拾遺)。また,建治2年8月の大隅国在庁石築地役配符に「夜久高七反〈七寸〉御家人税所介義祐」とあるのは,あるいは当地を指すかもしれない。応永15年10月8日には大隅・薩摩両国守護島津元久から「薩摩国内屋久・恵良部両嶋」が肥後左近将監入道に宛行われた(種子嶋氏所蔵文書/旧記雑録)。古代には当地は大隅国に属したが,中世においては薩摩国ともいわれかならずしも一定しなかったことがうかがわれる。「種子島家譜」によれば,この時に,当島は種子島氏の所領となったと伝える。以後,当島は「種子島家譜」にしばしば所見するが,天正19年には豊臣秀吉によって「種子恵良部屋久三島領主種子島左近大夫久時」が知覧に封ぜられ,代わって島津以久が3島領主となった(島津国史)。文禄4年6月29日豊臣秀吉朱印知行方目録には島津以久の知行分として「一参千六百三拾四石三斗八升 屋久嶋」とみえる(島津家文書2/大日古)。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7463549
最終更新日:2009-03-01




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