ケータイ辞書JLogosロゴ 油須木村(中世)


鹿児島県>郡山町

 鎌倉期から見える村名。薩摩国満家【みついえ】院のうち。正慶2年2月15日の比丘尼せうあん売券によれば,せうあん重代相伝の所領として「さつまのくにミついへのゐんのうちゆすのきむらのさいけ・田・その,ならびニさんやら」が見える(比志島文書/旧記雑録)。「せうあん」が何氏のものかは不明であるが,「税所氏系図」(地誌備考・備忘抄)によれば,大隅国税所職と満家院郡司職を有する税所義祐はその次女に満家院油須木村を分与しており,正応元年6月7日の藤原(税所)篤秀和与状には篤秀重代相伝の所領として「薩摩国満家院内郡山・中俣以下六箇村」とある(比志島文書/旧記雑録)ことから,鎌倉期は税所氏の支配地であり,尼せうあんもその一族であろうか。南北朝期に入ると,円満院預所・地頭の守護島津氏の力が強まり,建武4年9月2日の島津貞久宛行状によれば,父義範の忠節に対して比志島彦一に「満家院内油須木四町」が与えられている(同前)。南北朝期を経て,円満院は島津氏の支配にほとんど入り,応永19年2月15日には島津元久は油須木全部を比志島河内守久範に宛行っている(同前)。当地は,比志島氏が近世初頭,移封されるまでその支配に属し,その後は島津氏の直轄領となった。なお,当地の北部にある上ノ原は文明17年2月11日に島津忠廉が寡兵をもって村田肥前守経安の軍を破った古戦場である。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7463618
最終更新日:2009-03-01




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