ケータイ辞書JLogosロゴ 湯田(中世)


鹿児島県>宮之城町

 南北朝期から見える地名。薩摩国祁答【けどう】院のうち。温田とも書く。延元4年6月の村田如厳軍忠状(村田五郎左衛門家文書/旧記雑録)に,「同六月一日,渋谷安芸権守経重相共押寄同国祁答院温田城」と見え,温田城における合戦のことが記されている。応永10年12月13日の島津元久から渋谷重頼への契状(入来文書)にも当地の名が見える。また寛正5年の平徳重覚書(山崎氏文書/旧記雑録)では祁答院内の他の地名と並記されて見え,検田が施行されたことがわかる。文明5年10月18日の坪付注文帳(入来文書)には神領分が掲載されている。渋谷良重家門并家臣目録(入来文書)には「湯田名領主富光信濃守」とあり,富光氏が湯田の領主であったことがわかる。文禄4年都城の北郷時久が祁答院地方に移封された時の,湯田の高は903石1斗4升1合3勺であった(御秘文雑集)。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7463627
最終更新日:2009-03-01




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