ケータイ辞書JLogosロゴ 横山村(中世)


鹿児島県>鹿屋市

 鎌倉期〜室町期に見える村名。大隅国禰寝【ねじめ】院のうち。文永4年3月5日付の沙弥道意置文に「禰寝院村々置役事」として「横山 御佃用作二反十卩 新加用一反廿卩 収納使田一反卌 笇失五反廿卩」とあり,また「禰寝院公事支配村々田数参十町内」として「横山村四丁二反」とある(志々目家文書/鹿大史学14)。その後,暦応2年11月10日には道勝・義子・道覚・義村4名連署状をもって当村内の田園荒野等を10か年を限って売却することが契約されている。この間嘉暦3年11月15日,沙弥道勝から藤原義子に譲られ,暦応元年12月22日には藤原義親定文で「志々女横山両村堺事,自上田橋口以河久木崎尾ハナ大樋口河くたり小山下自萠にとをりて両村可為堺」と定められている。また,天授3年11月21日付禰寝院見作田畠目録注進状案によれば,当時の田数7町5反1丈,損田は2町1反4丈であった。室町期に入って応永18年3月19日付清茂譲状では「大禰しめの院よこ山のむら」内の田地が子息亀房丸に譲られている(禰寝文書)。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7463654
最終更新日:2009-03-01




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