ケータイ辞書JLogosロゴ 脇本(中世)


鹿児島県>姶良町

 鎌倉期から見える地名。大隅国蒲生院のうち。建治2年8月日付大隅国在庁石築地役配符に,蒲生院のうち「脇本十一丁九段小〈加神田万得定除貢進田一丁〉弁済使兼名主三郎大夫吉本」とあり(調所氏譜祐恒伝/旧記雑録),蒲生氏系図(蒲生郷土誌)によれば,蒲生氏2代種清の弟宗平は三郎太夫と称し,脇元を領して脇元を家号としたとある。蒲生合戦の後,島津氏の有に帰した。「樺山玄佐自記」弘治3年4月の条に「貴久様……脇本より小船にめされ,長浜へ御渡海有」と見え,日州江御発足日々記の天正5年12月7日条に「正宮江御社参,脇元迄御越着,御仮屋江御宿」,同8日条に「従脇元御出船」とあって,着津所でもあったことが知られる(旧記雑録)。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7463709
最終更新日:2009-03-01




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