ケータイ辞書JLogosロゴ 赤田(近代)


沖縄県>那覇市

 明治29年〜大正3年の首里区の字名。明治12年の廃藩置県後,水と労働力の得やすい首里三箇を中心に泡盛醸造業が盛んになり,県下第一の酒醸造地域となり経済的にも発展した。酒の残りかすを飼料として,養豚も行われた。明治28年から大正3年の間に,首里の中でも旧貴族階層が住む地域は土地家屋併有者が減り,借家住いが増えているのに対し,平士の多い赤田は土地家屋併有者が109名から144名に増え,借家は467から361に減り,泡盛の醸造業による経済の発展を示している(首里市制施行十周年記念誌)。首里三箇では酒の原料・製品の輸送に馬車が普及し,そのため道路の拡張や改修に迫られた。近世赤田村の道路はほとんど石畳で,沿道の士族屋敷の石垣囲いが道路拡張の難点であったが,明治中期に鳥小堀との境の道を石粉道に拡張・改修した。明治末期首里三平等の首里・真壁・儀保の3つの殿内が廃され,統合されて天界寺跡に移され,三殿内と呼ばれるようになった。首里殿内の跡地は集会所となり,赤田クラブと呼ばれた。明治36年の戸数438・人口1,960(男972・女988)うち士族196・953(県史20)。大正3年赤田町1〜3丁目となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7463730
最終更新日:2009-03-01




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