ケータイ辞書JLogosロゴ 安慶名村(近世)


沖縄県>具志川市

 王府時代〜明治41年の村名。中頭【なかがみ】方具志川間切のうち。「高究帳」では,あげな村と見え,高頭584石余うち田70石余(永代荒地18石余を含む)・畑514石余。王府時代末期,首里・那覇【なは】・久米・泊などの士族が安慶名原の肥沃な土地を求めて屋取を形成した(具志川市誌)。拝所にタイラ嶽・安慶名ノロ火の神・グスク嶽ノ殿があり,安慶名ノロの祭祀(由来記)。安慶名ノロは川崎村の祭祀も管掌した(同前)。明治12年沖縄県,同29年中頭郡に所属。戸数・人口は,明治13年256・1,289(男695・女594),同36年286・1,707(男857・女850)うち士族187・1,256で,士族の戸数比率は65%であった。明治36年の民有地総反別196町余うち田1町余・畑166町余・宅地16町余・山林10町余・原野2町余(県史20)。同41年具志川村の字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7463750
最終更新日:2009-03-01




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