ケータイ辞書JLogosロゴ 安波茶村(近世)


沖縄県>浦添市

 王府時代〜明治41年の村名。中頭【なかがみ】方浦添間切のうち。「絵図郷村帳」に,あはき村と見える。中頭方の西宿(官道)の起点である仲間村の間切番所から,宜野湾【ぎのわん】間切に通じる宿道沿いにある。乾隆6年(1741)惣与頭の制ができ安波茶村・仲間村・前田村が,仲間村にある竜福寺の看守にあたった(球陽附巻尚敬王29年条)。拝所にトモリ嶽・中間村後上之殿があり,浦添ノロの祭祀(由来記)。トモリ嶽は,神名大和ヤシロ船頭殿ガナシといい,大和人の骨を埋めた地と伝え,村民や旅人の崇敬するところであった(同前)。「遺老説伝」には,この大和人は「賦性仁厚,人民と和睦し,恒に農業を勧め,且つ忠孝を教ふ」とある。泉井には安波茶泉(安波茶樋川)・安波茶泉(樋川)・恩井・桃原井・犬井があり,また小湾川は安波茶江と呼ばれていた(旧記)。明治12年沖縄県,同29年中頭郡に所属。明治6年の恩河親雲上の作得は11石余(県史14)。同26年の「石高村別台帳」では百姓地148石余・請地2石余・仕明地1石余で計153石余,惣頭は69人(浦添市史2)。同年以前は,番所費は人頭に賦課された(同前)。同27年田畑の穀類・野菜類を盗んだとして,村内法に準じ男8人に罰金が科せられている(南島村内法)。同34年安波茶馬場で,軍人の退役壮迎会を催し,競馬が行われた。戸数・人口は,明治13年103・403(男207・女196),同36年121・553(男272・女281)うち士族36・187。明治36年の民有地総反別102町余うち田6反余・畑80町余・宅地7町余・山林4町余・原野8町余(県史20)。同41年浦添村の字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7463786
最終更新日:2009-03-01




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