ケータイ辞書JLogosロゴ 安波茶(近代)


沖縄県>浦添市

 明治41年〜現在の字名。はじめ浦添村,昭和45年からは浦添市の字。住民の宮城篤恭は農事功労者として,明治44年大日本農会から表彰されている。昭和9年の農家戸数119うち専業95・兼業24で,産糖高は黒糖1,905挺・白下糖432挺(浦添案内)。沖縄戦では,同20年4月25日頃から5月20日頃まで激戦地となり,当時の経塚・大平集落を除く戸数60・人口209のうち26戸が一家全滅,134人が戦死した(浦添市史5)。同21年5月各地の収容所にいた住民は仲間地区に集結,同年7月旧居住地に移動。同年浦添農業組合設立。同22年一部が経塚・大平となる。同25年村役所が庁舎改築のため一時仲間から安波茶事務所(公民館)に移る。同34年の戸数64(うち農家46)・人口310,田280a・畑1,290a。世帯・人口は,同45年144・621,同52年641・2,532。同55年戸数918(うち農家23)・人口3,449,畑463a。昭和40年村役所が仲間から地内の新築庁舎へ移転。同42年には役所に隣接して消防署,同54年には中央公民館が建設され,行政の中心として発展。同56年小字和久原辺りに浦添ニュータウン(世帯数547)が完成。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7463787
最終更新日:2009-03-01




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