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沖縄県>具志頭村

 明治41年〜現在の具志頭村の字名。明治41年後原集落に御火神を新城集落から招請,昭和25年には後原の開拓者の玉城家屋敷内に根屋として神アシャギを建立,旧暦1月4日の初御願の祭祀を行うようになる。昭和2年本集落内に分教場設立。戸数・人口は,同8年296・1,600(男760・女840),同20年345・1,692(男742・女950)。沖縄戦では,海岸から離れているため,安全地帯と誤認したこともあって避難が遅れた。同年6月1日以来,米軍の来襲に追われ,日本軍陣地に逃げ込み,村内最大の犠牲者を出した。戦没者は,軍人170・軍属39・戦闘協力者547の計756名にものぼった。生存者も捕虜として各地の収容所に送られ,同21年6月になって帰還することができた。同24年新城初等学校が開校,復興の兆しが見えた。同35年後原でのサトウキビ産高2,870tで,肥沃なジャーガル土壌の耕地を有し,村内でも生産性が高い。世帯・人口は,同年311・1,609,同45年309・1,661,同52年383・1,905。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7463818
最終更新日:2009-03-01




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