- JLogos検索辞書>
- 石垣村(近世)とは
「石垣村(近世)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
- amazon商品リンク
石垣村(近世) 江戸期の村名藤津郡のうち唐泉山東麓の丘陵地に位置し,東部に流れる鹿島川に沿って平地が谷状に入り組んでいる蓮池【はすのいけ】藩領塩田【しおた】郷に属す村高は,「正保国絵図」「天明村々目録」では247石余,「天保郷帳」では280石余「旧高旧領」には村名が見えない嘉永3年の村絵図によれば,集落は北部の山の東麓にあり,その一角に行学坊の社地があるまた,南の小山の中に権現が,南部の山すそに円林坊がある西の山すそには堤が多く,東の平地に広がる水路の源になっている東部地区は鹿島川より用水を取水,西部山間地は石垣堤ほか小堤より取水特産として石材を切り出す「明治7年取調帳」では谷所【たにどころ】村の枝村として見える「明治11年戸口帳」によれば,谷所村のうちに「石垣村」と見え,戸数78・人口362 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
石垣村(近世) 江戸期の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
石垣村(近世) 江戸期~明治5年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
石垣村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
石垣村(近世) 江戸期~明治7年の村名高島郡のうち上石垣村・下石垣村に分かれる下石垣は大溝【おおみぞ】に属し,上石垣は大溝の西の山麓にある天正15年から豊臣秀吉の直轄領で190石余元和5年以降大溝藩領,村高は江戸期を通じて210石余(寛永高帳・元禄郷帳・天保郷帳・旧高旧領)享保年間には荒田3町余があった村内に真野町・蔵野町があり,下石垣は下石垣町とも呼ばれた明治5年滋賀県に所属同7年石垣・打下【うちおろし】・大溝3か村が合併,勝野【かつの】村となる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」