ケータイ辞書JLogosロゴ 糸数(近代)


沖縄県>玉城村

 明治41年〜現在の玉城村の字名。昭和5年喜良原屋取が行政区として分立し,糸数2区(戦後は喜良原区)となるが,地籍は未分離のままであった。沖縄戦では,地内のアブチラガマ(壕)・糸数新川ガマが,軍や住民の避難壕となり,壕生活が半年も続いた。その後各地の収容所に分散収容され,昭和21年移動が許可され糸数区が設置されたが,10年余も仮屋住まいが続いた(玉城村誌)。糸数区の戦没者数は,軍人24・戦闘協力者47がわかっている。同41年喜良原区が字喜良原となる。世帯・人口は,同45年93・486,同52年97・507。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7463886
最終更新日:2009-03-01




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