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- 稲嶺村(近世)とは
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稲嶺村(近世) 王府時代~明治初期の村名島尻方豊見城【とみぐすく】間切のうち方言ではイニャンメとも呼ばれた沖縄本島南部,豊見城丘陵域に囲まれた小盆地に位置する「絵図郷村帳」に,いな嶺村と見えるが,その後村名は「由来記」「旧記」には記されず,「当時用候表」に見える「由来記」によれば,豊見城間切渡嘉敷村渡嘉敷ノ殿の稲二祭に,宇栄田大屋子と渡嘉敷・宇栄田両村の百姓が供物を出したというこの頃は宇栄田とも稲嶺とも称していたのであろう(豊見城村史)現在,豊見城村上田の古島は,本集落南西方古島原の低地にあった稲嶺と称しており,いつの頃か古島原から現在地に集落が移動したものと思われる(同前)「南島風土記」では,「嘉慶図」という史料に,稲嶺の西に,現在の上田に隣接する渡橋名が記されていると見える村名は明治初年の史料に見えるが,明治13年「県統計概表」には表われず,この頃宇栄田村と改称したと思われる |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」