ケータイ辞書JLogosロゴ 栄野比村(近世)


沖縄県>具志川市

 王府時代〜明治41年の村名。中頭【なかがみ】方具志川間切のうち。「高究帳」では,ゑのび村と見え,高頭120石余うち田60石余・畑59石余。拝所にイシヒラ嶽・栄野比ノロ火の神があり栄野比ノロの崇べ所,ほかに殿(里主所火の神)がある(由来記)。集落ははじめ元島にあって,18戸程の小集落であった。明治初期の天然痘の流行で住民のほとんどが死亡した。間切番所に救援を陳情し,間切から集落移転費の補助を受け,現在地に移転した(具志川市誌)。明治12年沖縄県,同29年中頭郡に所属。屋取に大荒地原・西原・開地などがある(各町村字並屋取調)。戸数・人口は,明治13年93・444(男234・女210),同36年124・643(男325・女318)うち士族88・445で,士族の戸数比率は70%であった。明治36年の民有地総反別129町余うち田17町余・畑50町余・宅地4町余・山林51町余・原野5町余(県史20)。同41年具志川村の字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7463995
最終更新日:2009-03-01




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