ケータイ辞書JLogosロゴ 大謝名村(近世)


沖縄県>宜野湾市

 王府時代〜明治41年の村名。中頭【なかがみ】方,はじめ浦添【うらそえ】間切,康煕10年(1671)からは宜野湾【ぎのわん】間切のうち。「高究帳」では浦添間切謝名村と見え,高頭1,154石余うち田466石余・畑688石余。康煕10年真志喜村を分村。御嶽のコガネミヤヨリアゲ森は,察度王即位以前の居住地で,ここから金銀を得たため霊地としたという。ほかにコバブツソサン森・金宮之殿があり,謝名ノロの祭祀で,同ノロは宇地泊・真志喜・大山の各村の祭祀も司った(由来記)。明治12年沖縄県,同29年中頭郡に所属。屋取にマガヤー・フブチがある(各町村字並屋取調・宜野湾市史3)。戸数・人口は,明治13年90・465(男221・女244),同36年127・610(男289・女321)うち士族18・122。明治36年の民有地総反別101町余うち田10町余・畑65町余・宅地6町余・山林8町余・原野11町余(県史20)。同41年宜野湾村の字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7464027
最終更新日:2009-03-01




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