ケータイ辞書JLogosロゴ 大謝名(近代)


沖縄県>宜野湾市

 明治41年〜現在の字名。はじめ宜野湾村,昭和37年からは宜野湾市の字。大正11年に開通した県営鉄道嘉手納【かでな】線が地内を通ったが,昭和10年の地図によれば大謝名駅は北西隣の宇地泊地内にある(宜野湾市史2)。第2次大戦前は緑豊かな農村地域で,稲作とサトウキビの栽培が盛んであった。沖縄戦で灰燼に帰し,住民は米軍上陸後の昭和20年4月頃には捕虜となって具志川村内の収容所に収容され,同21年野嵩【のだけ】に移されたのち,同23年ようやく帰還できた。昭和22年一部が真栄原・佐真下となる。戦後,東部に多くの米軍向け貸住宅が建設された。近年,国道58号と県道34号が交差する交通の要所として,市街地化が著しい。世帯・人口は,同45年1,336・4,804,同52年1,648・5,904。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7464028
最終更新日:2009-03-01




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