ケータイ辞書JLogosロゴ 大城(近代)


沖縄県>大里村

 明治41年〜現在の大里村の字名。第2次大戦前真境名地区は副業のシンタ(カマンタともいう,釜蓋のこと)製造で知られ,稲福地区では手工業の竹細工が盛んだったが,戦後材料の竹が入手できず衰退した(沖縄風土記全集4)。戦後大里・南風原【はえばる】・佐敷の村民約5,000人が,疎開先から大城地区に集まった。昭和20年4月空襲で校舎が全焼した高平の大里第二国民学校が,同年12月大城初等学校と改称して当地に開設,同21年高平に移転し大里南小学校と改称(大里村史)。同33年頃大城ダムが完成し,水稲栽培が広く行われるようになったが,同35年頃からサトウキビ作に転換し,現在水田は見られない。世帯・人口は,昭和45年218・1,138,同55年349・1,342うち農家171・895。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7464030
最終更新日:2009-03-01




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