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沖縄県>恩納村

 明治41年〜現在の恩納村の字名。恩納の地内に士族が帰農して発生した屋取の馬場・赤崎・屋嘉田は,昭和19年に行政区として分離独立したが,地籍は未分離のままだった。これは第2次大戦時,政府の考えを隅々まで徹底させるため,300戸以上の字を二分するようにとの県からの指令により行われた。沖縄戦では,昭和20年4月ワタンザ・当袋原へ,米軍上陸後は恩納岳・キンカン山へと避難した。その後恩納地区は5月24日に,南恩納地区は7月1日に石川収容所に収容され,昭和20年末から同25年1月にかけて帰村した(恩納村誌)。しかし昭和25年に山側の大部分はキャンプ・ハンセンの一部に,同27年には海側の万座毛一帯がVOA受信所として接収された。VOA受信所は同39年・同52年に分けて返還された。世帯・人口は,昭和45年412・1,827,同52年554・1,932。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7464090
最終更新日:2009-03-01




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