ケータイ辞書JLogosロゴ 嘉手納村(近代)


沖縄県>嘉手納町

 昭和23〜50年の中頭郡の自治体名。北谷村の一部をもって成立。村域は沖縄戦で壊滅し,戦後も全面立入禁止になっていたが,その後部分的に返還され,昭和21年11月先遣隊50人が入り再建にあたった。嘉手納飛行場内は,部分的に通行可能であったが,同23年5月頃から全面的に立入りが禁止されたため,北谷村は南北に分断された。このため行政的にも日常生活上でも支障が出,同年12月嘉手納飛行場以北の地域が嘉手納村として独立。分村時には嘉手納・野国・野里・屋良の4字を編成,同26年頃水釜・兼久・国直・久得【くどく】・東の5字が起立し9字となる。うち野国・野里・国直・東・久得は,全面的に米軍基地に接収されていた。役場は,はじめ屋良,同34年からは嘉手納に設置。米兵による事件,飛行機の墜落事故,廃油流出など基地による諸災害は絶えない。特に,同42年の航空燃料や洗剤による井戸汚染,同43年のB‐52戦略爆撃機墜落爆発事件等は住民の不安を強くした。また,航空機の爆音による被害も著しく,昭和40年屋良小学校では1週間に騒音による161回の授業中断を記録。同45年の測定では,1日平均5,000の軍用機が昼夜を問わず離着陸しており,騒音が100ホン以上に達することも頻繁にあり,現在でも減少していない。この爆音公害は,嘉手納村を中心に読谷【よみたん】村・北谷町・沖縄市に及び,爆音訴訟が提起されている。基地の街というイメージも強く,外人相手の特飲街などもある。世帯・人口は,昭和25年1,273・6,776,同35年3,173・1万2,976,同45年3,095・1万3,820。同51年1月1日町制施行。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7464125
最終更新日:2009-03-01




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