ケータイ辞書JLogosロゴ 兼箇段村(近世)


沖縄県>具志川市

 王府時代〜明治41年の村名。中頭【なかがみ】方具志川間切のうち。「高究帳」では,かねかだん村と見え,高頭118石余うち田92石余・畑25石余。「由来記」に兼个段村・兼ケ段村,「中山伝信録」に兼嘉段と見える。拝所にカナ森・殿(里主所)があり,上江洲ノロの祭祀(由来記)。明治12年沖縄県,同29年中頭郡に所属。屋取に当原・平良川【たいらがわ】・寄原・後原がある(各町村字並屋取調)。戸数・人口は,明治13年120・619(男329・女290),同36年139・865(男433・女432)うち士族83・481で,士族の戸数比率は約60%であった。明治36年の民有地総反別235町余うち田14町余・畑120町余・宅地8町余・山林89町余・原野1町余(県史20)。同41年具志川村の字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7464132
最終更新日:2009-03-01




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